なるいのDRM進化論

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But they had not gone twenty yards when they stopped short. An uproar of voices was coming from the farmhouse. They rushed back and looked through the window again. Yes, a violent quarrel was in progress. There were shoutings, bangings on the table, sharp suspicious glances, furious denials. The source of the trouble appeared to be that Napoleon and Mr. Pilkington had each played an ace of spades simultaneously.
Twelve voices were shouting in anger, and they were all alike. No question, now, what had happened to the faces of the pigs. The creatures outside looked from pig to man, and from man to pig, and from pig to man again; but already it was impossible to say which was which.
1944年に書かれたGeorge OrwellのAnimal Farmの最後の部分である。高校の英語の授業で副読本で読んだ。始めてCover to coverで読んだ英語の本であった。内容がおとぎ話のようで英語の初級で使う読み物としては最適なのであろう。恐らく今でも多くの高校生が読んでいるのではないだろうか?特に最後の文章が印象に残っている。人間に支配されていた農園の動物たちが豚をリーダーとして反乱(革命)を起こし自分たちが支配者となる。その後あっと言う間に豚は人間そっくりになっていく。この最後の場面は豚のリーダーであるナポレオンと人間のピルキントンがトランプをしていて、何故か同時にスペードのエースを出したことから大騒ぎになったところだ。外にいた動物たちが家の中を覗き込む。豚から人間へ、人間から豚へ。でもその時にはすでにどちらがどちらか分からなくなっていた。
最後の"it was impossible to say which was which."という表現が、日本語の「もうどっちがどっちだかわからない。」というのと同じなんだなぁという印象がとても強く今でもその授業の様子をよく覚えている。Animal Farmは1944年に書かれている。まだ第二次世界大戦は終わっていない。George Orwellはソ連における共産主義の実態をみごとに風刺したわけだ。
さあ、日本だ。もう何も言う必要はない。小沢一郎はみごとにナポレオンを演じている。ピルキントン役は誰だろうか?自民党はどうも役者不足でいい俳優が思い浮かばない。8月の選挙で当選した多くの民主党の新人議員たちにとって、本当にどっちがどっちか分からなくなっている状態だろう。ましてや、民主党に投票した国民は口を開いて呆れるばかりだ。今年は参議院選挙がある。一体われわれはそれこそWHICHに投票したらいいのか?

ラジオ各局がいよいよネットでの同時放送に踏み切る。日経ビジネスオンラインの報道によると、
AM、FM、短波の大手民放ラジオ局13社は、3月中旬から、地上波と同じ放送内容をインターネットでもサイマル(同時)送信することを決めた。日本音楽著作権協会(JASRAC)や日本レコード協会といった権利団体とも合意を得た。2月中にも正式発表する。
海外ではとっくに始まっているサービスだが、日本のラジオ放送局もようやく重い腰を上げたということか。というよりも、これ以上ネットを無視することができない状況に来たということだろう。ラジオ広告費は91年の約2400億円をピークに、2008年の約1550億円まで減少している。
もともとラジオ視聴者とネットのヘビーユーザーはかなり重なる部分がある。一方、テレビの視聴者は必ずしもネットユーザーとは結びつかない。ラジオのチューナーの数が激減しているのもラジオ局を動かした原因だろう。たしかに車の中、病院のベッドなどの特定の環境以外でラジオをいつも聞いているという人の数はどんどん減っているのだろう。昔の若者は深夜ラジオを友としたものだが、最近はネットがその座を占めている。
日経ビジネスの報道を読むと、まだまだ解決されていない問題がある。放送局は地域制のビジネスモデルなので、例えば日本中からどの放送も聞けるようにはされない。新聞のネット配信についても同様のことが問題になっている。いくつかの新聞社はデジタル新聞のネット配信をしているが、どの新聞社もその新聞が配られている地域では受信できない仕組みになっている。ラジオの場合はネットでの受信を電波を受信できる地域に限定しようとしているが、新聞はその逆で紙の新聞を販売している地域以外に限定している。それぞれ当事者の悩みや課題は理解できるが、完全にユーザー視点を失っている発想だ。
とは言え、マスコミの一角がネットとの融合に一歩足を踏み出したというのは素直に喜びたい。3月から試用で9月から本格運用に入るらしいが、ラジオとネットの融合というのは恐らく放送局が思い描いたよりもずっと大きな影響を持つだろう。ラジオ放送の内容がツイッターで流れ、それを見てすぐにラジオをネットで聞くなどという視聴方法が始まる。逆にラジオ放送の中でURLが紹介されてHPに誘導されるようになる。テレビコマーシャルで「詳しくは検索で」みたいに言われてもテレビを見ながらパソコンでネットをしている場合でなければすぐに検索してHPに行くということは期待できないが、ネットラジオならばそのままHPと繋がることができる。
さあ、次はテレビだ。ラジオにできてテレビにできないことはないだろう。

東フィルのバイオリニストの友達にチケットを貰い新国でヴォツェックの公開GP(ゲネプロ)を観た。まず新国のHPから概要を引用する。
バイエルン州立歌劇場との共同制作となる本演目。2008年11月にバイエルン州立歌劇場において初演され、非常に高い評価を得ました。演出のアンドレアス・クリーゲンブルクは数多くの演劇作品を演出していますが、本公演の成功で、今後はオペラ演出においても重要な存在になることでしょう。歌手陣は、本演目をレパートリーとしており、本役でヨーロッパの主要な歌劇場において高い評価を得た歌手を招聘いたしました。1時間半全3幕の短いオペラでストーリーも単純なものだ。20世紀を代表する革新的なオペラと言われ、新ウイーン学派を代表するアルバンベルクの代表作だ。という知識はあったが実際の公演を観るのは始めてだった。

知の巨人シリーズ(いつからシリーズに?)第三弾として取り上げるのは松岡正剛だ。松岡はなかなか手強い。正直言ってぼくにはまだよく分からないところが多い。だが、恐るべき読書量ではこれまでの3人に負けていない。長年続けている書評の連作が2006年に「放埓篇」として全8冊の大型本『松岡正剛 千夜千冊』として出版された。全8冊の百科事典のような大型本で10万円近くもするものが1000冊完売したとして有名になった。内容を見ると広範囲にまたがっているものの、哲学、思想といった分野が多くそれが松岡の特徴である。早稲田では革マルの論客だったというだけあって、かなり理屈っぽい論旨を展開する。ある意味で佐藤優と近いところがある。体育会系思想家といったところだ。佐藤の論旨は比較的分かりやすい表現だが、松岡は必要以上に難解な表現を用いてかなり手強い。専ら「編集」というテクニカルな言葉を好んで使い、どんな話も「編集」に持っていこうとする。1987年からは編集工学研究所という株式会社を始め、編集工学という概念を徹底的に追求しようとしている。
津野海太郎著、「したくないことはしない、植草甚一の青春」新潮社、を読んだ。前々回に知の巨人として立花隆と佐藤優の二人について書いたが、ぼくが本当に尊敬し敬愛する知の巨人は植草甚一だ。ぼくぐらいの年代では植草ファンはとても多いはずなので告白するのは大いに恥ずかしいのだが高校生のころからかなり影響されている。最近は彼の最盛期のいわゆるファンキーじいさんと呼ばれた世代に自分が近づいて来たせいか、思うところが多い。
アップルのSteve Jobsの有名な反論は「iPodの中にある音楽のほとんどはCDなどからのリッピングでネットから、有料無料を問わず、ダウンロードされたものは数%に過ぎない」というのがある。これは事実だろう。実際私の16GのiPhoneの中も、ほとんどがCDからのリッピングだ。デジタルコンテンツビジネスの先頭を走る音楽コンテンツがこういった状態なので、ネットで配信される映画やビデオコンテンツましてや電子雑誌や電子書籍などはコンテンツビジネス全体から見れば本当に微々たるものだ。
もう一つデジタル記憶媒体の話で最近注目されるのがフラッシュメモリーの急激な低価格化だ。1GB100円という声が聞こえて来ている。これもかなり革命的なことだと思う。1GBあれば標準画質の映画ならば十分入ってしまうし、音楽や書籍系のコンテンツならばかなりの数を入れることができる。そのコストが100円だとういうのだ。もちろんこれには従来の媒体はCDだろうがDVDだろうがかなわない。さらに書籍系のコンテンツの媒体としての紙の費用対効果も大きく凌駕している。容量だけを見ればDVDはまだ対等に勝負できるかもしれないが、USBやSDメモリの扱いの容易さを考えるとDVDもおちおちしていられなくなってきた。もちろん、FlashメモリとCDやDVDではコンテンツのコピーの仕方が違うので、大量に同じパッケージを作る場合にはCDやDVDに軍配が上がる。一方、書き替えが容易にできるFlashメモリの場合は少数またはOn Demandの用途に最適だ。そして世の中のコンテンツ市場を見ると、何百万部と売れるようなコンテンツはほんの一握りで、その他の多数はいわゆるロングテールを形成している。